研究最前線

大脳に文法を処理する中枢があることを発見

日本語も英語も活発になる部位は同じ
顔写真 酒井 邦嘉
(さかい くによし)
(東京大学大学院総合文化研究科 助教授)
戦略的創造研究推進事業 研究領域
「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」研究代表者
日本人は学校で何年も英語を習ってもなかなか英語が身に付かないと言われますが、東京大学大学院総合文化研究科の酒井邦嘉助教授らは、脳の活動を外部から計測できる装置を用い、英語の文法の学習が進むと日本語の文法を処理する脳の部位と同じ部位が活発になることを突き止めました。脳には、文法を処理する中枢が存在し、その部位は言語によらず共通、というわけです。英語教育の工夫、改善につながるかもしれません。
ねらいと背景
人間はなぜ言葉を操れるのか
 人間は、言葉を操る動物です。子供は、成長するにつれ、文法にのっとったさまざまな文を自在に発するようになります。親から教わった言葉だけではなく、いろいろな単語を組み合わせて新たな表現を生み出します。米国の言語学者チョムスキーは、人間が他の動物と違って言葉を自在に操れる(文法にかなった文を自在に生成できる)のは、それを可能にするメカニズムがもともと人間の脳に備わっているからだ、という説を唱えました。
 この説には、論争がつきまとっていますが、言葉を処理している時の脳の活動の様子が科学的に厳密に把握できれば、この説が正しいのかどうかを明らかにできます。幸い、ブレインサイエンス(脳科学)などの進展により、脳の活動を外部から計測したり、外から刺激を与えて脳神経の反応を調べたりする技術が進歩しており、脳活動の様子を詳しく調べられるようになりました。酒井助教授らはこのような技術を駆使し、言語獲得のメカニズムを科学的に解明することを目指しています。
「文法中枢」の活動変化を計測できるMRI装置
「文法中枢」の活動変化を計測できるMRI装置
内容と特徴
学習前後の脳の活動変化を調べる
 研究チームは、今回の発見に先立ち、次の2つの成果を得ています。一つは、「MRI(磁気共鳴映像法)」を用いた実験成果です。MRIは近年、脳梗塞や脳腫瘍などの検査に広く使われていますが、脳神経の活動が活発な部分では血流量が増えることから、それを手掛かりに脳の活性部位をMRIで映像化することもできます(この手法を機能的MRIといいます)。
 被験者(右利きの成人※116人)に文法問題を課し、その時の脳の活動を映像化して調べたところ、文法を使う言語理解の際に、特異的に活動する部位が見つかりました。それは、左脳の前部にある「ブローカ野」※2と呼ばれている部分にありました。
 もう一つは、脳の微小領域を磁気で刺激する「TMS(経頭蓋的磁気刺激法)」という方法を用いた成果です。被験者(右利きの成人6人)のブローカ野に磁気刺激を加えたところ、文法の判断が特異的に促進されることを見出しました。
 これらの成果を踏まえ、今回は英語を習い始めた中学生を対象に、機能的MRIを用いた実験(被験者は右利きの中学1年生14人。うち一卵性双生児6組、2卵性双生児1組)を行いました。「現在形」を「過去形」に変える(正しい「過去形」を選ぶ)という文法課題を与え、学習前後の脳の活動変化を調べました。その結果、学習の向上に比例して、先の文法実験で見出された活動部位(ブローカ野)と同じ部位に活動の増加が見られました。
 つまり、日本語(母語)で認められた活動部位(文法中枢)と同じ部位の活性化が、英語(第2言語)の文法修得に関しても認められました。文法中枢は、言語によらず共通というわけです。さらに、同じ遺伝子を受け継いだ双生児で、同部位の活動変化に高い相関性が見られました。これについて酒井助教授は「授業の教育効果の定着には、双生児が共有する要因(遺伝と環境)が深く関与することを示しています」と話しています。

※1 右利きの成人:利き腕は脳の機能と関連があると考えられており、実験条件を統一するため右利き成人を実験対象としています。
※2 ブローカ野:言葉を発する機能を担っている領域で、ここが損傷されると、相手の話は理解できるのに、自分ではうまく話せなくなります。
実験室の様子。窓の奥のシールドルームにMRI装置がある
実験室の様子。窓の奥のシールドルームにMRI装置がある
展望
言語教育の改善に寄与
 中学生を対象としたこの研究は、「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」という目標を掲げた戦略的創造研究推進事業の1つとして行われたものです。研究には、3つの意義があります。第1は、人間はなぜ言葉を操れるのか、幼いうちに言葉を話せるようになるのはなぜなのか、といった言語獲得の謎を、科学的に解き明かすことです。
 第2は、語学教育の改善です。今回の実験は、教育現場で行われている実際の語学学習の効果をMRIで計測しました。学校教育を対象とした世界的にもユニークな脳研究です。「日本人は、英語が苦手」という弱点を解消するような教育方法がこうした実験結果から生み出される可能性があります。
 第3は、言語障害の機能回復への応用です。言語障害の機能が回復する際に脳の活動がどのように変化するかをモニターするなどによって、リハビリテーションにも役立つことが期待されます。
研究者のコメント
「私たちの研究成果はいずれも、『人間の脳には言語獲得のメカニズムが生得的(生まれつき)に備わっている』というチョムスキーの説を裏付けるものです。今後さらにいろいろな実験や計測を行って、言語獲得と人間の脳の謎を解き明かしたいと考えています」
酒井助教授ホームページ:http://mind.c.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

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